硯、墨、筆、紙
これらの4つは文房四宝と言われており、文房具の中心として、古代中国から賞玩されてきた。なかでも硯は他の消耗品とは違い、手入れをしていれば半永久的に使えるということもあり、骨董品として多くの文人に愛されている。硯とは、墨を水ですりおろすための道具であるが、書道を経験したことがある方であれば一度は使用したことがあるだろう。
前回に引き続き、そんな硯に関すること全般を受け持つ「製硯師」、青栁貴史氏にお話を伺うことができた。青柳氏は浅草にある書道用具専門店「宝研堂」の4代目であり、1939年に創業されたこちらの店は、都内では数少ない硯の工房を持っていることでも知られている。
様々なニーズに「石でお答えする」という「製硯師」青柳貴史氏。依頼を受けるときに重要視していることについて、彼はこのように語る。
お客様のニーズは多岐にわたります。そのなかでも、石ありきでご依頼して頂ける場合もあれば、石の指定がない場合もあります。最高級硯材の老坑を使って作ってほしいというご依頼を頂ければ老坑の材を使ってお作りしますし、ご指定がない場合でも、僕一人で決めるのではなく、お持ちになる方と話し合います。その方が生涯で大事に育てていける硯を作るために、素材の選び方をご提案するだけではなく、やはり話し合いは不可欠です。そこから、素材の石をどう調理していくのか、どのような形にするのかを相談しつつ、作り始めます。
石の指定がない場合でも、お客様と深く話し合いをし、適切な硯を作ることを重要視していると語る青柳氏。「生涯、大事に育てていける硯」という言葉が印象的であった。オーダーメイドだけではなく、修理や調整の依頼も多いそうだ。
そんな青柳氏は、日本だけではなく、中国でも修行をした経験を持っている。自身も父のように、日本の職人のところに丁稚奉公しようと思っていたが、父に「中国に行って修行しなさい」と言われたそうだ。そのときに父に言われたことについて、彼はこのように語っている。
今になって20年以上前に父に言われたことを少し分かるようになった気もします。硯というものの「本質」を勉強しようということなのです。硯は中国で発祥しましたが、日本の硯というものは、日本で発展を遂げた日本の形なのです。中国では、
晩唐の時代から、おおむね1500年経った今でも、硯はその形を大きく崩すことなく脈々と受け継がれています。日本で学ぶということは、日本で発展を遂げたひとつの硯の形を学ぶということです。僕たちの工房に求められているものは、日本の硯だけを作る量産形式ではない。もともとの中国の伝統的な作り方、そして硯の本質を踏まえたデザイン、あとは多岐にわたる硯の流行を時代別に理解し、技術と理解力を磨く必要があったのです。
師匠である父に、20年前に言われた「本質」というものを理解したと語る。その文化がどこから、どのように発祥したか?そして今までどのように発展してきたか?そのようなことを「現地」で学ぶことにより、技術と理解力を磨いたという。
このように「本質」を学び、その理解力と技術を駆使して、徹底的にお客様と話し合いをして完成した硯。青柳氏の硯が多くの人に支持されている理由を垣間見ることができる会話であった。
パート3に続く
1939年に創業されたこちらの店は、都内では数少ない硯の工房を持っていることでも知られている。
http://houkendo.co.jp/